STORY 37
~サウナシュラン受賞施設インタビュー~
全国12000以上ともいわれるサウナ施設の中から、革新的な11の施設を毎年表彰するサウナアワード「SAUNACHELIN(サウナシュラン)」。
その狭き門をくぐりぬけノミネートされた施設は、日本のサウナ界のけん引役として、多くのサウナ―たちを虜にしてきた。そんなサウナ施設を作ったのは、いったいどんな人なのか。どのようにサウナと出会い、どうやって理想の施設を作り上げ、運営しているのか。”最高のサウナ”の裏舞台に迫り、物語を追った。
Sea Sauna Shack @Tateyama, Chiba
SAUNACHELIN 2021 受賞
オーナー 永松太志
サウナを避け続けた人生を
変えた“偶然のととのい”
僕はもともと、サウナが嫌いでした。
小さいころ、祖父に連れられていったサウナはとにかく熱くて汗臭いイメージしかなかったし、その後友人と温泉に行った際などに誘われて入ったサウナも、ぜんぜん気持ちいいと思えませんでした。以降は誰かから誘われても、「苦手なんで……」と断り続けてきました。
そんな僕の価値観が、根底から覆った体験がありました。
2020年7月。コロナ禍で、経営する設計デザイン事務所の仕事が激減し、暇な時間が増えた僕は、趣味のサーフィンに没頭していました。ある日、海から上がって「風呂でも入って帰ろうか」と、友人と訪れた銭湯に、サウナがあったんです。
その友人がサウナ好きで、僕が断っても「いいから、騙されたと思って」と誘ってくる。まあ少し我慢すればいいかと、友人に言われるがままにサウナ室に入り、水風呂に浸かりました。
でも、やっぱり何がいいのかわからない。
もうこれで一生、入ることはないな。
そう思いながら友人より少し早く風呂を出ました。脱衣所の天井では、扇風機がぶうんぶうんといくつも回っていました。そのそよ風を受けながら身体を拭いていると、なんだか尋常じゃなく心地いい。それで着替え終わってロビーに行き、休憩所で寝っ転がってみると、ふわふわして、なんだかやたらと幸せな気持ちになって。心では興味がなかったはずなのに、身体が自然とととのってしまっていたんですね。
サウナには、何か計り知れないものがある。
そう思った僕が、すぐに連絡を入れたのが、DDTプロレスのプロレスラーで、後に「Sea Sauna Shack」の総支配人となる、勝俣瞬馬でした。
(左:勝俣瞬馬 右:永松太志)
瞬馬とはもともと友人だったんですが、コロナ禍の前くらいから彼はサウナにはまって、「太志さん、サウナ行きましょうよ!」と何度もしつこく誘われていました。それがあったからこそ、銭湯でいやいやながらもサウナを試す気になったのかもしれません。
「瞬馬、これまでごめん! おれ、サウナにはまるかもしれない。おすすめのところはどこかあるかな。今、瞬馬が日本で一番行きたいサウナってどこ?」
そういうと真っ先に名前が挙がったのが、長野県信濃町の「The Sauna」でした。
「実は俺もまだ行けてないんですが、すごくよさそうなサウナです」
「じゃあもう、すぐ行こうよ」
そんな感じで、数日後には長野に向かっていました。
当時のThe Saunaは、ちょうど人気が出始めた頃で、施設としても1号棟のみのこじんまりしたサウナでしたが、そこで受けた衝撃は計り知れません。
いかにもDIYで作った風情の小屋に、薪ストーブの揺らぐ炎、そして周囲に広がる大自然……。いったい何なんだこの場所は、と唖然としました。
それまでは、サウナはあくまで温浴施設のひとつの機能であり、おじさんたちが狭い場所で汗をかいているようなイメージしかありませんでした。しかしThe Saunaが僕に示してくれたのは、本格派のサウナに備わる、まったく新しい可能性だったんです。
(長野県「The Sauna」にて)
そうして僕の世界を広げてくれたThe Saunaでしたが、一方で商業施設という観点でとらえると、少し粗削りであると感じました。
僕の設計デザイン事務所は、これまで商業施設を数多く手がけてきました。個人的に商業施設は「何をどうやって売り、どんな運営するのか」までしっかり想定したうえでデザイン、施工すべきだと思っていて、日ごろから設備の配置や動線がつい気になってしまうのが職業病です。
The Saunaは、今では整備の整った素晴らしいサウナ施設であり、あくまで当時の話ですが、たとえば動線の在り方や、ととのいスペースの前の整備などについては、「僕ならこうするだろうな」というアイデアがいくつも湧いてきました。
それで居ても立っても居られなくなり、帰りの車中ではすでに物件を探していました。
まるで導かれるように
理想的な海沿いの土地と出会う
とはいえ最初から、商業的な成功を目指してサウナを作ろうとは思っておらず、サーフィンの帰りにすぐ入れて、会社の保養所として使えるような場所があればいいな、というイメージでした。だから物件探しも、ビジネスとしての立地はまるで頭になく、とにかく海が近く、かつ都内から日帰りで行ける距離でリサーチしました。
日本では、台風や津波対策もあって、海に直接面した建物が少ないです。しかし千葉県の館山に、海っぺりで素晴らしい景観の物件があるのを見つけた時には、ここしかないと思いました。こんな美しい景観の中にサウナがあったなら、もしかすると少しくらいは人も集まるかもしれない。そんな考えも浮かびました。それですぐにその物件を買ったんです。The Saunaに行ってから1か月も経たずに、理想的な場所と巡り合えたのは、本当に運が良かったです。
(購入した当時の館山の物件)
それでさっそく瞬馬に、連絡を入れました。
ちょうどコロナ禍で、プロレスの試合数が激減していた時期でした。
「いい物件があったから、サウナを作るつもりだけど、もし瞬馬が一緒にやるなら、商業施設にしてもいいと思う。どうする?」
そう聞くと、彼は迷わず「やりたいです!」と答えました。そこからSea Sauna Shackの構想が本格的にスタートしていきます。
物件を買ってからはもう、サウナのことが頭を離れません。自分で設計図を描き、レイアウトを検討しつつ、勉強のために瞬馬と全国のサウナ施設を周っていきました。サウナシュランにもお世話になり、掲載されているすべての施設に実際に足を運びました。
そんな中で特に影響を受けたのが、佐賀県にある「御船山楽園ホテル らかんの湯」です。当時あったサウナでは圧倒的に洗練されたデザインで、しかも商業施設としてもよく考えられて設計されているところに惹かれました。
一方で、やはり大自然と融合したThe Saunaのインパクトも深く心に刻まれていました。
この二つの施設は、僕にとっては両極端の存在で、双方のよさをうまく取り入れれば自分の理想とするサウナが作れると感じました。
結局、“サウナ施設行脚”を続ける過程で、40回以上は設計を変更したと思います。
(工事中のSea Sauna Shack)
図面を何度も引き直しながらわかったのが、サウナ室自体よりもその周辺構造がとても重要だということです。
もちろんサウナ室も、空気や風の流れ、アウフグースをする際の距離感など、考えるべき点はたくさんあります。ただ、サウナ室の中では基本的に人は動かず、そこまで動線を考慮する必要はないため、設計としてはどちらかというとシンプルです。
しかし、サウナ室から出た後にどうするか、その動きを心地よく設計するのは、細かな配慮が必要です。どこに水風呂やシャワーがあり、そこからどうととのいスペースに移っていくか、その一連の流れをひたすら考え続えました。サウナ室のキャパシティも、それに合わせて何度も変更をかけています。
特にこだわったのはウッドデッキのととのいスペースです。外気浴中に海の絶景を見てもらうというのは最初から決めていたことでした。
それで実際に設計し、ウッドデッキを作っている過程で、薪ストーブの煙突工事の下見で屋根の上に登ったんです。
すると、景色が一変しました。富士山もよく見えて、少し視点が上がるだけでこれほど違うのか、と驚きました。そこで急遽設計を変えて、現在最上段となっているウッドデッキを作ったという経緯があります。
(最上段のウッドデッキ / 右はSea Sauna Shackから見たダイヤモンド富士)
もっとも悩んだ設備の一つが、水風呂です。
はじめは、水道水を冷やして循環させる想定でいましたが、予算を組んでみると思いの外、コストがかかるとわかりました。そこで海が目の前という立地をフルで生かそうと、海水を引いて冷やすことを検討しましたが、メンテナンスにかなりの手間がかかり、なかなか難しそうでした。
その次に出たのが、井戸を掘るというアイデアでした。水さえ出れば、あとは少し冷やしてかけ流しにすればいけるんじゃないか。そのくらいの思い付きでしたが、実際に掘り始めてみると、地盤が岩盤だったこともあってなかなか水が出ません。井戸掘りは、試しで掘るにもお金がかかりますから、50メートルくらい掘った時点で「これ以上掘っても出ない可能性もありますがどうしますか」と業者さんに聞かれました。
その時点で、うっすらと水はしみだしていましたが、それが水風呂に使えるほどの量になるかはわからない。でもここまで掘ってきたし、代案もすぐには思い浮かばない。それでもう少しチャレンジすることにしました。結果として70メートル前後で水がそれなりに出てきたときは、心底ほっとしましたね。
(天然の地下水かけ流しの水風呂)
美しいストーブと絶景が映える
サウナ室にしようと決めていた
サウナの内装という点でいうと、ストーブが一つの特徴になっていると思います。
ストーブの検討にあたっては、薪ストーブにするのはすでに決めていました。絶景に加え、都心ではなかなか導入できない薪ストーブがあり、揺らぐ炎や薪がぱちぱちとはぜる心地よい音を楽しめる。そんなサウナなら、都内からでも人が来てくれるかもと考えました。
最初からストーブをメインシンボルにするつもりで、いくらお金をかけてでも、他にはないデザインにする予定でした。サウナ室を写真に収めれば洗練されたデザインのストーブと絶景がバランスよく映り込む、そんなイメージで、Sea Sauna Shackを世に出したかったんです。
その実現にあたり、まずはサウナ施工の最大手に相談してみましたが、ストーブだけを個別に販売はできないとのことでした。今でこそサウナヒーター世界No.1シェアを誇るHARVIAの日本法人もできて、ストーブを誰でも買えるようになりましたが、当時は手に入れるのも難しかったです。それで少し角度を変え、薪ストーブのメーカーにサウナストーブを作ってくれないかと頼んでみたのですが、なかなか受けてくれるところがない。ようやく広島の薪ストーブ屋さんと出会い、僕がデザインしたストーブを形にしてもらったという感じです。
ちなみに周囲に積んだ500キロのサウナストーンは溶岩で、自分で生産地に足を運び、買い集めてきたこだわりのものです。
(オリジナルの薪式ストーブは特注の一点物)
運営にあたっては、男女で一緒に入れるようにするのも始めから変わらぬコンセプトです。当時そんなサウナは珍しかったですが、僕としてはむしろ別々に分ける視点がなかったです。僕の故郷の鹿児島では、街のいたるところに温泉があり、家族風呂も多く点在していて、男女一緒に入るのが当たり前だったのも影響しているかもしれません。単純に、みんなで入れるほうが楽しいじゃないか。友達、カップル、夫婦、家族で、サウナの入り方を共有できたほうがいい。そんな理由で、男女共有にしました。
こうしてSea Sauna Shackの土台は固まっていったんですが、はたして人が来てくれるかどうかは、ずっと不安でした。自分で数字を叩いてみてもビジネス的にもかなり厳しくなりそうだと感じ、サウナクリエイティブ集団「TTNE」の代表・ととのえ親方にアドバイスをもらったりもしていました。
実はととのえ親方とは、サウナとまったく関係ないコミュニティでたまたま出会っていたんです。それで「サウナを作ろうと思いまして」と相談したところ、「宿泊施設との組み合わせならともかく、サウナだけでビジネスにするのはなかなか難しい」と言われていました。
もともと儲けたくて始めたわけではないけれど、利益がそれなりに出なければ事業として成立しません。
どうしたものかと考えて、一つ思いついたのが、物販で売上を補うということでした。その頃、グッズの制作販売に力を入れているサウナ施設はほとんどなかったのですが、たとえばTTNEで販売していたサウナアパレルがよく売れたりと、チャンスはありそうでした。
そこで、もともと知り合いだった大好きなアーティスト、Ryu Ambeにキャラクターを描いてもらい、それをブランドアイコンにして、グッズを展開すると決めました。
ちなみに現在、グッズ販売は好調で、それがとてもうれしいです。今後、Sea Sauna Shackがアパレルブランドとして確立されていき、「サウナはわからないけれど、このTシャツのキャラは知ってる!」という若い世代なんかが出てきたら、とてもおもしろいだろうなと思っています。
(アーティストRyu Ambeが手がけたオリジナルキャラクター「マヌ」
マヌはフィンランドの妖精トントゥの8人兄弟の末っ子で旅とサウナと海が大好きなキャラクター)
サウナに目覚めたときから
人生が大きく変わっていった
こうして自分としては、できることをすべてやったうえオープン当日を迎えたわけですが、はじめはそんなに人が来ると思っていませんでしたから、スタッフは僕と瞬馬だけ。平日は瞬馬、休日は僕がお店に立って運営するつもりでした。
ところがふたを開けてみると、最初から予約がびっちりと埋まって、ひっきりなしに人がやってきたんです。
特段、宣伝もしていないのになぜいきなり集客できたか、その理由はわかっています。サウナ界を牽引するひとり、マグ万平さんのYouTubeで紹介されたからです。もともと瞬馬が、サウナ好きプロレスラーとして万平さんのラジオに呼んでいただき、その縁でYouTubeも撮りに来てくれることになりました。
当時、本格的にサウナ施設を紹介しているユーチューバーって万平さんくらいしかいなくて、その視聴者もおそらく現在のトップサウナーたちだったと思うんです。だから、オープン直後には根っからのサウナ好きがたくさん集まって、それで評価してもらえたことが、現在につながっていると感じます。おかげさまでオープン以来3年は、平日休日問わず予約が空いたことはなかったです。
(YouTube 「マグ万平ののちほどサウナで」 2021年4月20日配信)
とはいえ予想通りというか、サウナの運営で大きな利益が出ているわけではありません。たとえば薪ストーブ一つとっても、サウナ室を温めるには3時間必要で、薪の管理にも手間がかかります。稼働が少なければ人件費だけですぐに赤字転落です。
それでも僕は、「サウナをやってよかった」と毎日のように思います。
来てくれたお客さんが目を輝かして感動し、「こんな施設を作ってくれてありがとう」とまで言ってくれる、そんな日々だからです。
僕もお客さんに感謝して、もっと楽しんでもらうにはどうしたらいいか、新たなアイデアをどんどん実行し、サービスのブラッシュアップを続けてきました。
本業の方でもサウナを活用しています。設計依頼を検討してくれているお客さんをSea Sauna Shackに連れていって、そこで本音で話しあうなかで仕事を作る“サウナ外交”がうまくいっています。サウナ施設のプロデュースや施工という新たな仕事もできました。
プライベートでも、Sea Sauna Shackに来てくれたのが縁となって、今の奥さんと“サウナ婚”をしました。
思えばサウナに目覚めてから、本当に人生が大きく変わりましたね。衝動的に物件を買ったところから始まり、ただ熱意だけで前に進んできましたが、道のりを振り返ればずいぶん遠くまで来たような気がします。今後も自分のサウナ愛を大切に、人に喜んでもらえるサウナを全国に作っていければ、僕は幸せです。
(左:永松太志 右:勝俣瞬馬)